静岡生まれ東京下町育ちのミニシュナの日常と里帰り


by nyarcil
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鳩山寛と遠山寛賢、バイオリンと空手

以前に戦前の台湾を知るおじいさんから「鳩山寛」という方の話を聞いて興味を持ち、インターネットで検索して調べているうちに偶然この本を見つけ、購入した。
昭和32年4月に出された、私家版というか、自費出版に近い本『天才の母』。 
50年以上前の古い本で、奇書といってもいいかもしれない。
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鳩山寛さんとは、東京交響楽団で長らくコンサートマスターをしていたバイオリニスト。 80歳を過ぎた今も出身地である沖縄で、ときおり演奏会を開いたりボランティアで施設などで演奏なさっている、とのこと。
現役時代は「ハトカンさん」の愛称で親しまれ、小津安二郎の「東京物語」の挿入曲は鳩山寛さんが演奏しているものだそうだ。 
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この本は鳩山寛氏のお母様、遠山静江夫人が亡くなった折に、追悼のために編纂された本。夫遠山寛賢氏はじめ、複数の方たちの手記を集めたもので、夫人の人柄や、いかにして天才バイオリニスト鳩山寛が誕生したたかが書かれてあります。(以下、一部敬称略です)
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鳩山寛の父・遠山寛賢は沖縄師範学校出身。台湾に渡って私立の幼稚園を開き、夫人と一緒に音楽を教育を取り込んだ独自の幼児教育を行っていた。
あるとき鳩山春子女史(鳩山由紀夫元首相の曾祖母・共立女子大の創立者)の、教育についての著書を読んでおおいに感激し、その本を座右の銘として自分の一人息子をその本に書いてあるように育てることを夫婦で決意する。
両親の熱心な教育の結果、息子寛は特にバイオリンで卓抜した才能をみせるようになった。
父は息子によりよいバイオリンの教育を受けさせようと、一家で東京に出てくることに。しかし、昭和初期の不景気まっただ中の東京での生活は苦しく、寛に練習用の子供用バイオリンも買ってあげられないような生活が続いた。

そんなある日、遠山寛賢は息子寛を連れて、鳩山春子女史に会いに共立女子学園まで行った。 突然の訪問だったが、春子女史と会うことができて、女史の好意で、女史とその場に居た学校の音楽教師たちの前で、寛はバイオリンの演奏を披露することになった。 
最初は、漆を何度も塗り重ねたつぎはぎだらけの大人用のバイオリンを重そうに顎にのせた子供の姿を見て失笑した教師たちも、演奏が始まるや、その音色の素晴らしさ・確かさに驚き、演奏のあとには拍手はしばらく鳴りやまず、アンコールの声も起きた。その場にいた誰もが寛の才能にその才能をみとめ、春子女史からは「大変結構でございました。この子の面倒は私が見てあげます」との言葉をいただいた。

寛は春子女史の紹介で、上野音楽学校で教授を受けることになり、近衛秀麿子爵を師と仰ぐことになる。
その後寛は12歳の最年少で音楽コンクール一位をとるなど、いろいろなコンクールで入賞し、その才能は諏訪根自子につぐ天才とうたわれた。 昭和16年に近衛子爵の尽力でドイツ留学が決まったものの戦局が押し迫ってかなわず、戦後ようやく、鳩山薫子(鳩山一郎首相夫人)女史の推薦もあって、ボストンの音楽学校に留学することができた。

そのような鳩山家との縁で、寛は血縁はないものの名前も鳩山の姓に変えることになり、バイオリニスト鳩山寛として、世に知られるようになった。
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・・・とまあ、ここまでが本にある昭和32年頃までの話。 その後の鳩山寛氏の演奏家としての活躍については、 「長く東京交響楽団でコンサートマスターをしていた」という記述くらいで、写真も見つからず、あまり情報が見つからなかった。 

で、なぜサイト主がこの鳩山寛さんに興味をもったかというと、本人の天才ぶりもさることながら、そのご両親にある。
この本を読むと、寛賢氏はバイオリン、静江夫人はピアノをよくし、夫婦ともに和歌や琉歌に親しむという、芸術を愛する教養豊かな一家なのだ。 特に琉歌をたしなむところ、沖縄の教養人はこういうものかと。 
薩摩藩の支配下から脱したばかりの明治時代の沖縄の人に、子供にバイオリンの英才教育できるほどのクラシック音楽の素養があったということは、文明開化の波がそんなに早く日本最南端の地まで届いていたということ。 それはそれですごいことだと思う。

そして、寛賢氏には教育者としての顔の他にもうひとつの顔がある。 寛賢氏は空手家として有名で、Wikiペディアでは、「沖縄の昭和期を代表する空手家の一人」(!)と書かれているくらいの空手の達人なのだ。 
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真剣を持った相手を素手で簡単に倒してしまうなどの武勇伝をもち、空手に関する著書も出している。台湾にいた間は、中国拳法も学んでいる。
東京では幼稚園の園長をしながら、修道館という空手道場も開いていて、鳩山寛さんが寛賢氏亡き後道場を継いだという話もあった。(しかしこれはあまり信じられない)

そんな空手家・武闘家としての一面と、前述の教養豊かな教育家としての一面とをあわせもっているというのが不思議な感じがする。 空手家としての武勇伝と、幼稚園児のうたの伴奏でバイオリンを弾く園長先生とでは、あまりにギャップがある。

もう一つ興味があるのは、あの時代に知り合いでも何でもない貧しい身なりをした一介の沖縄出身の父子が突然鳩山家をたずねて、ついには血縁でもないのに鳩山姓を名乗ることを許されるまでになったということ。
鳩山家といえば、宰相を代々生み出す、いわば日本のブルーブラッドの一族。 ちょっと驚くべきことではないだろうか。
鳩山寛さんの傑出したバイオリンの才能が、それを可能にしたということだろうか。

あと印象にのこったこと、
琉歌って独特のリズムと味わいがあっていいなあ、と思いました。

静江夫人の句です:
 命(ぬち)も長々と 仕事ちゅらちゅらと
 思みはまて給れ 我夫(わうと)がなし
 (意味: 長命して仕事清々しくつとめてください、私の大切な夫よ)
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Commented by やまもと みさお at 2012-10-10 23:43 x
私のブログにコメントを頂いたのを見逃したようです。大変失礼しました。鳩山さんには長い間お世話になりました。3年ほど前に沖縄でお目にかかった時は足がご不自由なほかは、ヴァイオリンを弾くことはまだまだお達者でした。早速このことをお伝えしておきます。お喜びになると思います。ありがとうございました。
Commented at 2012-10-12 08:56 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2015-10-01 17:52 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by nyarcil | 2012-09-30 02:56 | その他 Miscellaneous | Comments(3)